ジョーダン191 [モータースポーツ]
私がF1の歴史上最も好きなマシンです。
NEX-5 E18-55mm
当時のジョーダン・グランプリは国際F3000からステップアップしてきたF1参戦1年目の新興チームでした。
マシンデザイナーは「ゲイリー・アンダーソン」
もう現役を引退してしまいましたが、私が好きなデザイナーの一人です。
新興チームらしく資金力に乏しく、確か1年落ちのFordのエンジンを積んでいたと思います。
しかし、幅広のフロントウィングやバットマンディフューザー等、個性的なデザインで、私はこのマシンに一目惚れしてしまいました。
当時の私は高校生でまだF1視聴2〜3年目位のF1初心者でした。
正直まだF1の事もよくわかっていなかったと思います。
普通ならセナやプロストや中嶋悟等を応援する所なのでしょうが、私はなぜかこのマシンから目を離す事ができませんでした。
普通ならF1参戦1年目のチームが活躍できるはずも無く、今年のロータスやヴァージン、ヒスパニアのように低迷するはずなのですが、なぜかこのマシンは度々ポイントを取る程活躍したと思います。
当時は6位までしかポイントが取れず、また
の4チームが四強と呼ばれていて、この8台でチャンピオンシップを争っていたので、他のチームはポイントを取る事自体が至難の業でした。
なのに、度々ポイントを取ったのです。
参戦1年目の新興チームがです。
「美しいマシンは速い!!」この言葉を思い知らされずにはいられませんでした。
なぜこのマシンはこんなに活躍できるのか?
モータースポーツの雑誌を読みあさり必死に勉強しました。
正直私がF1にハマるきっかけになったマシンだと思います。
今私がF1を楽しく見る事ができるのはこのマシンのおかげだと思っています。
そして忘れてはならないのはこの年のベルギーGPです。
せっかく上り調子のチームだったのに当時のドライバーの一人ベルトラン・ガショーが交通違反で刑務所にぶち込まれ、GPに出走できないと言う事件が起きました。
「なんてこったい。せっかく上り調子だったのに・・・」当時の私はそう思いました。
まして、チームが代役としてマシンに載せたドライバーは当時の私は名前も聞いた事が無い若造でした。
「ミハエル・シューマッハ」という若者です。
今にして思えば、その前年の全日本F3000にスポット参戦して、不利と言われていたラルトのマシンでローラやレイナードをブッちぎって2位に入ったこの若者を私は見ているはずなのですが、なにせモータースポーツ初心者だったので、全く気づいていなかったのです。この若者に。
この若者は
とネガティブファクター満載だったにもかかわらず、いきなり予選で8番グリッドに付けたのでした。
そうです。速さで四強の一角を崩したのです。
当時のジョーダン・グランプリが上り調子で何度かポイントを取っていたと言っても、それはトラブルによるリタイア等で四強の一角が崩れた時でした。
純粋に速さで四強の一角を崩したのはこの時が初めてだったと思います。
「なんだこの若造は!!」と驚かずには要られませんでした。
決勝はスタートでクラッチを壊してリタイアしてしまいましたが、強烈な印象を残していった事を今でも覚えています。
この若者は2戦だけジョーダン・グランプリに乗った後、速攻でベネトンに引き抜かれていきました。
そして数年後ベネトンでワールドチャンピオンになり、フェラーリに移籍して黄金時代を築き、皇帝と呼ばれるまでになりました。
そういう意味でも印象深く、今でも一番好きなマシンなのです。ジョーダン191。
ちなみに最初はジョーダン911という車名にしようとしたのですが、ポルシェからクレームが入って車名を変えたのです。ちょっとトリビア(笑)
ちなみにこのマシン。
私が大学生の時には河口湖の自動車博物館に展示してあり実車を見る事ができました。
今でもあるのかな?
ジョーダン191
っていうか自動車博物館
時は流れて、私もおっさんになりました(笑)
チームもオーナーを変えながら「ジョーダン・グランプリ」→「ミッドランドF1」→「スパイカーF1」→「フォース・インディア」と名前が変わって行きました。
彗星のように現れた若者も、一度引退しましたが、今年齢41歳で現役復帰しましたが苦戦しています。
時代は代わりました。
でも忘れる事はできないのです。
あの年、あの時の煌きを・・・
NEX-5 E18-55mm
当時のジョーダン・グランプリは国際F3000からステップアップしてきたF1参戦1年目の新興チームでした。
マシンデザイナーは「ゲイリー・アンダーソン」
もう現役を引退してしまいましたが、私が好きなデザイナーの一人です。
新興チームらしく資金力に乏しく、確か1年落ちのFordのエンジンを積んでいたと思います。
しかし、幅広のフロントウィングやバットマンディフューザー等、個性的なデザインで、私はこのマシンに一目惚れしてしまいました。
当時の私は高校生でまだF1視聴2〜3年目位のF1初心者でした。
正直まだF1の事もよくわかっていなかったと思います。
普通ならセナやプロストや中嶋悟等を応援する所なのでしょうが、私はなぜかこのマシンから目を離す事ができませんでした。
普通ならF1参戦1年目のチームが活躍できるはずも無く、今年のロータスやヴァージン、ヒスパニアのように低迷するはずなのですが、なぜかこのマシンは度々ポイントを取る程活躍したと思います。
当時は6位までしかポイントが取れず、また
- マクラーレン
- フェラーリ
- ウィリアムズ
- ベネトン
の4チームが四強と呼ばれていて、この8台でチャンピオンシップを争っていたので、他のチームはポイントを取る事自体が至難の業でした。
なのに、度々ポイントを取ったのです。
参戦1年目の新興チームがです。
「美しいマシンは速い!!」この言葉を思い知らされずにはいられませんでした。
なぜこのマシンはこんなに活躍できるのか?
モータースポーツの雑誌を読みあさり必死に勉強しました。
正直私がF1にハマるきっかけになったマシンだと思います。
今私がF1を楽しく見る事ができるのはこのマシンのおかげだと思っています。
そして忘れてはならないのはこの年のベルギーGPです。
せっかく上り調子のチームだったのに当時のドライバーの一人ベルトラン・ガショーが交通違反で刑務所にぶち込まれ、GPに出走できないと言う事件が起きました。
「なんてこったい。せっかく上り調子だったのに・・・」当時の私はそう思いました。
まして、チームが代役としてマシンに載せたドライバーは当時の私は名前も聞いた事が無い若造でした。
「ミハエル・シューマッハ」という若者です。
今にして思えば、その前年の全日本F3000にスポット参戦して、不利と言われていたラルトのマシンでローラやレイナードをブッちぎって2位に入ったこの若者を私は見ているはずなのですが、なにせモータースポーツ初心者だったので、全く気づいていなかったのです。この若者に。
この若者は
- 急遽代役としてほとんどぶっつけ本番でマシンに乗った。
- マシンは上り調子とは言え1年落ちのFordのエンジンを載せたF1参戦1年目の新興チーム。
- コースは難コースと言われていたベルギーはスパ・フランコルシャンサーキット
とネガティブファクター満載だったにもかかわらず、いきなり予選で8番グリッドに付けたのでした。
そうです。速さで四強の一角を崩したのです。
当時のジョーダン・グランプリが上り調子で何度かポイントを取っていたと言っても、それはトラブルによるリタイア等で四強の一角が崩れた時でした。
純粋に速さで四強の一角を崩したのはこの時が初めてだったと思います。
「なんだこの若造は!!」と驚かずには要られませんでした。
決勝はスタートでクラッチを壊してリタイアしてしまいましたが、強烈な印象を残していった事を今でも覚えています。
この若者は2戦だけジョーダン・グランプリに乗った後、速攻でベネトンに引き抜かれていきました。
そして数年後ベネトンでワールドチャンピオンになり、フェラーリに移籍して黄金時代を築き、皇帝と呼ばれるまでになりました。
そういう意味でも印象深く、今でも一番好きなマシンなのです。ジョーダン191。
ちなみに最初はジョーダン911という車名にしようとしたのですが、ポルシェからクレームが入って車名を変えたのです。ちょっとトリビア(笑)
ちなみにこのマシン。
私が大学生の時には河口湖の自動車博物館に展示してあり実車を見る事ができました。
今でもあるのかな?
ジョーダン191
っていうか自動車博物館
時は流れて、私もおっさんになりました(笑)
チームもオーナーを変えながら「ジョーダン・グランプリ」→「ミッドランドF1」→「スパイカーF1」→「フォース・インディア」と名前が変わって行きました。
彗星のように現れた若者も、一度引退しましたが、今年齢41歳で現役復帰しましたが苦戦しています。
時代は代わりました。
でも忘れる事はできないのです。
あの年、あの時の煌きを・・・
タグ:ジョーダン191
確かにバブル崩壊後の日本と今のアメリカって似ているんですよねぇ。 [投資]
日本では山一證券が破綻して、アメリカではリーマン・ブラザーズが破綻しました。
ゼロ金利では物足りず量的緩和に踏み込んだ所も日本と一緒ですよね。
私の拙い記憶が確かなら、日本は一度量的緩和だかゼロ金利だかを止めて、その結果不景気を長引かせてしまい、再度ゼロ金利量的緩和を行わざるを得なかったような・・・
いくら新興国が台頭してきたと言っても、アメリカが世界経済に与える影響は相変わらず大きいですし、「アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく」という構造も変わっていないと思います。
アメリカが今後の経済政策を誤ることを先取りするようにまたドルが安くなってきてますし、ちょっと心配ですよねえ・・・
日本の事例を参考にして適切な政策を希望したいです。
っと、たまには株ブログ的な記事も書いてみる(笑)
XプライズってGoogle系の財団だったんですね。 [投資]
この記事に出てくる「Xプライズ」ってロケットの打ち上げに賞金だしている所ですよね。
Google系の財団だったんですねぇ。
しかも今回の原油除去プロジェクトの賞金を出すのはエリック・シュミットGoogleCEOの奥さんとは・・・
やっぱりお金持ちはやる事が違うなぁ。
でもこの手のコンテストって本来BPが主催するべきなのでは・・・
Googleでも経験した事が無い程のトラフィックなのかもしれませんね。 [IT]
中国のインターネット利用人口は3億人を突破している訳で、これはアメリカの人口よりも多い訳です。
世界最大のデータセンタを運用していると想定され、世界最高の分散処理技術を持っていると推測されるGoogleにとっても、中国3億人からのトラフィックは未だかつて経験したことのない量だったのかもしれません。
初めての事には失敗が付き物ですものねぇ。
しかし、こうなってくると技術革新のためにも、Googleの中国での事業継続はより一層重要になってきましたな。
タグ:Google
まだ「Magic Mouse」も体験していないのに「Magic Trackpad」が出てしまった・・・ [IT]
今回のAppleのアップデートは基本的にマイナーチェンジだったのですが、あえて革新的な部分を探してみるとやっぱりコレですよね。
こいつは悩ましい商品です。
実は私Macユーザでありながら、まだ「Magic Mouse」も体験していないんです。
私が今使っているMacを購入した頃は世の中にはまだ「Magic Mouse」も存在していませんでした。
私が使っているMacに付いていたのは「Mighty Mouse」って奴です。
こいつは、使っているとすぐにトラックボール部分にゴミや脂が詰まって機能しなくなるという駄目マウスでした(笑)
しばらくは両面テープ大作戦等を駆使して我慢して使っていたのですが、Appleから対策品(=Magic Mouse)が発売される気配は無く、止む無くMicrosoftのArcMouseを買った次第です。
Microsoft Arc Mouse White (ZJA-00050)
- 出版社/メーカー: マイクロソフト
- メディア: エレクトロニクス
その後ArcMouseは一回壊れたのですが、その時もMagicMouseは発売されておらず、またMicrosoftは初期不良と認めてくれて無償で交換してくれたので、未だにArcMouseを使っている次第です。
なんかArcMouse使いやすくて、結局MagicMouseには手を出さずに今に至るといった感じです。
私が次にMacを買い換える時にはさらに革新的なポインティングデバイスが出ているのだろうか・・・
Apple反撃されてますね(笑) [IT]
「Motorolaは名指しで指摘された企業じゃないのにそんなにムキにならなくても良いのに・・・」と思ったら、AppleのWebサイトが更新されてて「Motorola Droid X」もデスグリップ実証結果が記載されているんですね(笑)
これは第三者の検証が必要ですね。
ユーザが検証してMotorolaに苦情が殺到するようならAppleの勝ち。
Motorolaにクレームがほとんど来なかったらAppleの負けって所でしょうか?
今後の展開が楽しみですね(笑)
これはSONYのNEX-VG10の対抗機種・・・じゃない? [写真]
正面からの見た目が先日発表されたマイクロフォーサーズ用の3D撮影用レンズと似ていたので、てっきりSONYのNEX-VG10と同じコンセプトをマイクロフォーサーズで実現したのかと思ってしまいました。(笑)
同じ土俵で3Dを全面に押し出す事でSONYとの全面戦争に突入するつもりなのかと思ったのですが・・・
このカメラ、マイクロフォーサーズじゃ無いんですね。
レンズも似ている(って言うか中身は流用しているんでしょう)けど、別物みたいだし。
でも3Dテレビの需要を掘り起こすためには面白いアプローチだと思います。
まあ、3Dテレビを持っている金持ちしか買わないかもしれないので、結構ギャンブルな商品とも思いますが・・・
消費者はNEX-VG10とこれのどちらを選ぶのか興味ありますね(笑)
値段的にはNEX-VG10の方がちょっと高くなりそうだけど。(2000ドルっていうと18万円くらい?)